物語りは戦争を超える;遊牧民・難民・亡命者の問わず語りで描く国際政治

『トランジット』

アブドゥラマン・アリ・ワベリ著 ; 林俊訳
水声社(2019年)


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古来「神話」は、創造と破壊あるいは死滅と再生の民族叙事詩でした。地球規模でのシステム化・管理化が人間の能力をはるかに超えるまで進んだ今日、依然として「神話」を語ることができるは、地上で最も悲惨な飢餓と内戦のさ中にある土地の人々、たとえば「アフリカの角」の人々などなのかも知れません。『トランジット』は、グローバル化した資本主義文化が可能にした新しい人類普遍の「神話」と言えます。

 

著者ワベリは1965年生まれの東アフリカ・ジブチ出身の作家で、今日フランス語文学世界のリーダーの一人として国際的に大きな影響力をもつ知識人です。『トランジット』は2003年にフランス・ガリマール書店から刊行され、著者にとっては『バルバラ』に続く第二作目の長編小説となります。

舞台は、フランスから独立したものの部族対立を引きずって内戦にあえぐ1990年代のジブチ共和国です。物語は、このみじめな小国を巡って章ごと5人の人物それぞれのモノローグを重ねてゆきながら進みます。内戦に加わり「ビン・ラディン」を自称するオポチュニストの兵士バシール、フランスで大学教育を受けた知識人ハルビとそのフランス人の妻アリス、ハルビ夫妻の息子アブド=ジュリアン、そしてアフリカの大地に根を下ろしたハルビの父アワレです。

すべてを「戦略上」の問題に還元してしまうバシールと父からはアフリカ土着の血青い目の母からは西洋の血を受け継ぎ栗色の肌をもつアブド=ジュリアンとの掛け合いのような諸章を軸に、途中からまずアリスがおずおずと続いてアワレが強引に割り込んで来、物語の最後はハルビが締めます。

まるで1950年代のモダン・ジャズのインプロヴィゼーションの掛け合いのように展開される猥雑極まりの無い物語は、なぜか読む者に上質のラム酒のようなこの上ない爽快感を与えて止みません。ラムと違って味わうのに年齢制限はありませんので、皆さんぜひお試しを。


2019年6月
人間文化学科 教授 伊藤栄晃

一般図書
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