楽しい太宰治のススメ

『お伽草紙』(「盲人独笑」「清貧譚」「新釈諸国噺」収録)

太宰治著
新潮社(1972年)


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人間失格の前に…テンポよくおかしみの加わった民話集

高校時代は孤独で、学部の頃は孤独な上に空腹だった。
高校の頃にはろくに友人もおらず、専ら本を読んでいた。ご他聞に漏れず、太宰治にかぶれていた一時期がある。太宰で困るのは、「こいつ以外は偽物だ」「俺ほど太宰を理解している読者は他にはいない」と思わせてしまう所で、太宰しか読めなくなる。別のクラスにやはり太宰にのめり込んでいる男がいて、深刻な顔つきで寄ってくることがあるのだが、実に鬱陶しい奴であった。

こちらは太宰以外にも創元推理文庫のミステリーとSFなどにも夢中だったので、邪魔はされたくなかったのである。ミステリーにはなけなしの小遣いをはたいたが、SFの方は同級生に大量に所有している奴がいて、毎日2冊ずつ持ってこさせた。しまいに奴がもう許してくれ、と言い出したときには、友達甲斐のない奴だと思ったものだが、もともと友達ではなかったのだから仕方あるまい。レンズマン・シリーズだの、火星のジョン・カーターだの、アシモフの『銀河帝国の興亡』だの、それは血湧き肉踊る時間であった。

大学に進んでもやはり友人ができなかったので、昼飯をひとりで食べることになった。問題は、活字がないとものが食べられないという癖が身に付いているので、まずは本屋へ行かなければならない。大学近辺の古本屋などで文庫本を何冊か買ってしまうと昼飯代が無くなり、目移りしているままに時を過ごしてしまうと午後の授業が始まると言う訳で、3年になってシェイクスピアのゼミに参加するまで、ろくに昼飯を食べた記憶がない。

さて、太宰治である。北杜夫ではあるまいし「死にたくってうずうずしちゃうな」という気分になられても困るので、『お伽草紙・新釈諸国噺』はどうだろう。情報メディアセンターには岩波文庫版と新潮文庫版、筑摩書房の全集がある。高校時代に読んでいたのは新潮文庫版であった。平成11年に56刷りを重ねている。冥加なことである。
新潮文庫版には、岩波文庫版には収録されていない、『盲人独笑』『清貧譚』『竹青』が含まれている。筆者は『清貧譚』が大好きなので、こちらに軍配を上げる。これもそうだが、『新釈諸国噺』にも、清貧という境地に至ることができない凡人の、それでも健気な姿が愛情を持って描かれている。そこまで力みかえって意地をはらなくてもいいだろうと思う『貧の意地』、馬鹿もここまでくるといじらしささえ感じてしまう『裸川』などが読みやすいのではないか。

『お伽草子』からは、やたらと理屈をこねる浦島太郎を背中に乗せて「さんそネッと来るか。はくそみたいだ。酸素はどうも助からねえ」と毒づく亀(『浦島さん』)。兎に言い寄りながら、傍を這っている蜘蛛を捕まえてペロリと平らげてしまう悪食の狸を泥舟に乗せて始末した後に「おお、ひどい汗」とつぶやく兎。狸の最期の言葉は「惚れたが悪いか」(『カチカチ山』)。

優れた文学作品は、読み返すたびに、読後感が変わっていく。高校生の自分がいかに青臭い、背伸びしただけの吹けば飛ぶようなものだったかを思い知らせてくれる。そう思わせてくれる作家に若い頃に出会っていたのは、やはり幸せなことだったのだろう。


2013年11月
人間文化学科 教授 米村泰明

一般図書
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