自分が自分であることの難しさと尊さを描く

『羊をめぐる冒険』

村上春樹 著
講談社(1990年)
人間文化学科 柴田 勝二 教授 推薦図書)


 

 『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』とともに初期の三部作をなし、その完結編であるとともに、著者の代表作のひとつとして評価されています。筋立てとしては、右翼の大物の秘書を務める黒服の男に脅されて、特殊な斑紋を持つ羊を探しに北海道に旅立った「僕」が、探索の末に目的の羊は見つけられなかった代わりに、旧友の「鼠」の別荘にたどり着き、そこで自殺した鼠の霊と話を交わします。鼠の霊は、右翼の大物の体から抜け出した羊は自分の体に入り込もうとしたが、彼は自分が羊に支配されることを拒んで自殺したという話を「僕」に語ります。

 この作品は小説ですが、優れた小説作品の特徴として、物語の展開が読者を魅了するとともに、時代社会への鋭い批評をはらみ、読者に現代社会における自己のあり方について強く考えさせる面をもっています。羊は人間の体に入り込んで、その人を支配する代わりに超人的な活動力を与える存在で、黒服の男の話では、彼の主人は羊に入り込まれることによって右翼の大物にまでのし上がったのでした。一方鼠は自分の凡庸さを愛していて、凡庸な人間である自分でありつづけるために、羊に入り込まれることを拒んで自殺したのでした。村上が前後の作品で、70年代以降の社会における個人と情報との関りを主題化していることに鑑みれば、「羊」とは社会に流通する情報の寓意としての面をもち、それを受容することで自分を失いながらも、その情報によってそれなりの仕事を達成する現代人の姿への批判が込められていることが分かります。「僕」が北海道に赴くことについても、黒服の男はコンピューターのシミュレーションによってはじめから分かっていたことが、展開の末尾で明らかにされます。この作品が発表された1982年はまだパソコンも普及しておらず、スマートフォンもなかった時代であるだけに、ここで提起されている、社会において多量の情報を受容することの二面性を村上が明確に認識していたことの先見性は驚かされます。

 現代社会において私たちはますます多くの情報の流通に身を晒し、それらを活用しつつ仕事をし、生活を送っています。それはある意味では他者が供給するものを取り込むことで自分を自分でなくする行為ですが、本来人間は自分を他者化することによってしか自分を社会化することのできない動物であるともいえます。『羊をめぐる冒険』が投げかけている、自分が自分でありつづけることの難しさと尊さの問題は、現在ますますその重要性を増しているといえるでしょう。

 

2023年5月
人間文化学科 教授 柴田 勝二

一般図書
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